設計事務所アトリエシゲが教える住まいに関する情報や裏技 2008年11月
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設計事務所アトリエシゲが教える住まいに関する情報や裏技

「家は叶う 建つべし! 建つべし!」個性派住宅を数多く手がけた建築家が楽しいすまい奪取への情報や裏技をわかりやすくときにはおもしろおかしく提供いたします。

No.295「自分の土地だと思っていたら実は国の土地だった」1

以前に「自分の土地に国の土地が入っていたことが判り、
建替えが出来ないと言われたのですが、どうすればよいでしょう?」
と、いうご相談を受けました。

この近代化の今日に何故、そのようなことが起こるのでしょうか。

話は豊臣秀吉の時代までさかのぼります。
豊臣秀吉は、1582年から検地を行っており、
1591年に関白位を豊臣秀次に譲るまでは太閤(たいこう)ではなかったが、
1591年以降は秀吉自身が「太閤」の称号を好んで使用したこともあり、
1591年以前の検地も含めて「太閤検地」と言う。これを企画発案したのは石田三成で、
検地奉行として事実上の施行者となった。

秀吉は、各地を征服するごとに検地を行い、
征服地を確実に把握して全国統一の基礎とした。
また、太閤検地では全国的な規模で統一された方法で行われ、
それまでの複雑な土地所有関係を整理し、土地制度を一新した。
これにより、荘園制度は完全に崩壊することとなる。
さらに、物差し、升を統一して行われたため、度量衡の統一がなされた。
この太閤検地の実施により兵糧を絶やすことなく小田原城を約20万の兵で囲み、
北条氏を滅亡させた(小田原の役)のは有名な話である。

太閤検地によって、各地の石高が確定されたことは、
その後江戸時代の幕藩体制の基礎となる石高制のもととなり、
江戸時代においてもこれに倣って検地が行われた。
これ以前にも、織田信長によって大規模な検地(指出検地とも呼ばれる)が行われており、
太閤検地の原型になったといわれている
(一部の者はこれを「信長検地(しんちょうけんち)」と呼ぶ)。

太閤検地 (たいこうけんち)は、
豊臣秀吉が全国的に行った検地(田畑(つまり山林は除く)の測量及び収穫量調査)。
天正の石直し・文禄の検地ともいう。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より)


私の住む小田原は太閤検地の実施によって秀吉さんに征服されたわけですね。
複雑な気持です。

気をとりなおして、書きます。

昔は農民ばかりの世の中、田んぼを耕し、米を収穫してその米を税金代わりに
納めていました。
税金を決める基準となるのが田んぼの大きさです。
田んぼの大きさを正確に測ることで税金がキチンと決められたわけです。
では田んぼの大きさは何処までかというと水を張って、稲が育つ部分となり、
縁の歩くところ、つまり畔(アゼ)は税金の対象から除外される代わりに
国の土地としました。
これを官地といい、正確には官有地とも言います。
水路や段々の斜めの土地なども同様です。

そして、これら田んぼや官地を記したものを図面化した
公図というものを作って保存をしました。

時代は流れ、戦後を経て、高度経済成長へと進みます。
田んぼは次々に潰された宅地にされました。
大工さんも家を建てる個人も公図の存在も意味も判らぬまま、
元、あった田んぼの上には各々が自由に家を建てます。
同時の行政も実におおらか。公図の整理を何もしないまま時が過ぎました。

法令順守の昨今になり、家を建てる際には土地の権利関係が整理されて
いなければ、土地に担保をつけることが出来ないので、銀行がお金を貸してくれません。
家を建替えようと思って、銀行融資の為の必要書類である公図を取得して
初めて自分の土地に官地が横断していたなんてことに気が付くのです。

さあ、どうしましょう。
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