設計事務所アトリエシゲが教える住まいに関する情報や裏技 2008年07月
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設計事務所アトリエシゲが教える住まいに関する情報や裏技

「家は叶う 建つべし! 建つべし!」個性派住宅を数多く手がけた建築家が楽しいすまい奪取への情報や裏技をわかりやすくときにはおもしろおかしく提供いたします。

No.288「湯山紀行」国内編 その7 (吊り橋)

「ユヤマノリユキ」ではありません。
「ユヤマキコウ」と読んでください。(笑)
旅先で見たモノについておもったことを綴りたいと思います。

「大分県の九重 “夢” 大吊橋」
は来場者100万人突破の大盛況!

日本一の吊橋(歩行者専用橋)ということで訪れました。
高さと長さが日本一その吊橋は
対岸に渡ると道が無くなっていて
そのまま引き返してくるしかない
観光名所オンリーの潔い吊橋でした。
当時から虎視眈々と次の日本一の座を
狙う吊り橋が着工しているという噂も
あり、その際には川底を更に掘って
高さだけでも死守するようなことが
都市伝説のように伝わっておりました。

大分県の九重 “夢” 大吊橋の概要
平成18年10月30日落成式 同日正午より営業開始
本体着工 平成16年5月
総工費 (周辺整備費を含む) 約20億円 
●標高 777m
●高さ 173m(日本一)
●長さ 390m(日本一)
●主塔の高さ 43m
●主塔の直径 1.4m
●橋桁の幅 1.5m
●手摺の高さ 1.4m
●橋桁の重量 312t
●メインワイヤー(2本) 
●直径53mmのワイヤーを7本束ねてあります。
●耐重量 117トン(設計上65kgの大人が約1,800人乗っても耐えられます。)
●耐風性 風速65m程度
●耐震性 震度5程度

ということです。(九重町HPより)
耐震性が震度5程度というのは驚きですね。
建物ではNGです。


続いては「谷瀬の吊橋」
20年ぐらい前に奈良県に谷瀬の吊橋というのがあるのを聞いて
バイクで訪れました。
昭和29年谷瀬の村落の人々が一世帯あたり30万円の大金を出し合い架けたと
いうのは有名な話で先の観光オンリーの橋とは一線を画す生活必需橋です。

●長さ 297m(鉄線橋では日本一)
●高さ 54m

20年前は確か日本一の吊橋だった思いますが
「鉄線橋」で日本一という限定にして売り出していました。
九重の堅牢な吊橋に対してリーズナブルな予算で出来ているので
気持ちよいほど揺れます。

しかし、地元の人は颯爽とバイクで駆け抜けます。
流石です。

徳島県にある「祖谷のかずら橋」は
かずらという植物のつるで両岸から本体を支える植物吊り橋である。
かずらはしらくちかずら(サルナシ)のみが用いられるこだわりであるが
桁部分もかずらで丸太、割木を繋いだだけのはしご状につくられる。
さすがに規模は小さいが植物でこれだけの建造物がつくれることに
驚くばかりである。

吊り橋とは川の両端などに二本ずつ柱を並列に建て、柱の頂部同志を
ロープで繋ぎ、そのロープから更に数本のロープを垂らして橋本体を固定するもの。
昔の三角テントのような構造でもある。

この技術は建築にも応用されて代々木のオリンピックプールなどでも採用
されております。

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No.287「湯山紀行」国内編 その6 (高野山)

「ユヤマノリユキ」ではありません。
「ユヤマキコウ」と読んでください。(笑)
旅先で見たモノについておもったことを綴りたいと思います。

4月の初めにバイクで和歌山から高野山に上った。
和歌山の海岸線では太陽の陽を浴びて暖かかったのだが
高野山の山道を上がり始めると一気に冷気が立ち込めて
防寒具を羽織ったのだった。

高野山に改めて興味を持ったのは四国を旅した際に
白装束のお遍路さんを多く見かけたからだ。
ユースホステルではお遍路さんの大学生と相部屋に
なり、その意味は弘法大師(空海)にあやかろうと、
多く僧らが悟りを求め、各地より大師ゆかりの遺跡や霊場に
修行・参拝に訪れるようになったのがルーツのひとつだと聞いた。

弘法大師は最澄と並び、日本仏教の双頭である。
「教え」はさておき、その総本山である高野山の建築は如何なものだろう
と思い、バイクを走らせたのである。

高野山は8つの峰に囲まれた盆地上の空間で高野山という山は無い。
人里離れた盆地上の空間に真言密教の総本山を造ったのだった。
標高はゆうに1000メートルを超え、残雪もある木々を抜けると
仏閣群が突然現れた。
総本山金剛峯寺を筆頭に寺院はおよそ117ヶ寺を数える。
中央の道路を挟み、両脇にお寺がひしめく。
建物と特色は取り立てて目を引くものは無いが
高野山の中心地に佇む壇上伽藍だけは異彩を放っていた。
曼荼羅の思想に基づいて根本大塔、金堂等が配置されており、
金堂は高野山全体の総本堂で高野山での主な宗教行事が執り行なわれるという。
建物全体を朱色で塗られた巨大な建物は夜はライトアップされて
さしずめランドマークのような存在であった。

実は私、この高野山へは東側からのアプローチしたために入口である
山門に向かって上って行ったのである。
奥側から山門に向かうのであれば本来、上がるではなく、下がるのが普通だ。
ところが高野山では下がるのだ。
これが真言密教と言われるゆえんである。
密教では山門からは下がって行くのである。

この山門である「大門」も国の重要文化財に指定されており、
高野山全体の総門である。

人里まで暫く九十九折が続くのであった。

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No.286「湯山紀行」国内編 その5 (富岡製糸場)

「ユヤマノリユキ」ではありません。
「ユヤマキコウ」と読んでください。(笑)
旅先で見たモノについておもったことを綴りたいと思います。

私が学生の頃は「富岡製糸工場」と教えられましたが
今は「富岡製糸場」と呼んでおります。
世界文化遺産登録を目指している都合上、工場ではまずいのでしょうか。

黒船でやって来たペルリさんから強引に開国を迫られて
渋々開国した日本であったが、開国を迫った列強の最大の目的は
日本とビジネスをすることであった。

今日までアジアで唯一、植民地にならなかった日本であったが
ヨーロッパ列強にとっては地球の反対側でおまけに小さくて海に囲まれて
台風も来るし何となくオイシクなかったのであろうことも助かった
原因だと私は考えている。

土俵際ギリギリで助かった日本であったが貿易となると列強とレートの差が
ありすぎて随分と不利な取引が行なわれたという。

日本にとって、利益が期待された輸出品は茶と絹(生糸)であったが
人力に頼っていたために品質が余り良くなく、安く叩かれていたのだった。
そこでフランス人技師ポール・ブリューナ(Paul Brunat)を助っ人外国人と
して超破格の報酬で呼び、フランスから繰糸機や蒸気機関等を輸入し、
養蚕業の盛んな富岡に日本初の器械製糸工場を設置したという。

世界登録は建物での登録を目指しているのではなく、
「富岡製糸場と絹産業遺産群」は「文化遺産(ぶんかいさん)」としての登録を考えて
いるそうです。

一方の建物、ひと目見たところ洋風の工場なのですが、
フランス人がやってきて日本人にいきなり指導しても建つ訳でありません。
そこでフランスの技術をそのまま使うのではなくて、
日本に合わせた工夫を加えてつくったそうです。

---以下、富岡製糸場世界遺産HPより----

ヨーロッパではレンガを積んで造るのが普通ですが、
日本人の得意な木材で骨組みをつくり、
その間にレンガを積む、 和洋折衷 ( わようせっちゅう ) 方式の木骨レンガ造りと
いう工法を取りました。
建造物の主要資材は 礎石 ( そせき ) 、木材、レンガ、 瓦 ( かわら ) で構成され、
鉄枠のガラス窓や観音開きのドアの 蝶番 ( ちょうつがい ) などは
フランスから仕上げて運び込まれたものでした。
しかし、資材の調達は大規模な建築のため多くの困難が伴っていました。
中心となる材木は杉の木の大きいものは 妙義山 ( みょうぎさん ) 、松の木は 吾妻
( あがつま ) から調達し、小さい材木は近くの山林に求めました。
また礎石の石材は連石山(甘楽町)から切り出してつくりました。
レンガは、ブリューナが瓦職人に手真似で教え込み福島町(現甘楽町福島)の
笹森稲荷神社 ( ささもりいなりじんじゃ ) 東側に 窯 ( かま ) を 築 ( きず )
き瓦と共に焼き上げました。

数十万個という数量だったそうです。
レンガの目地は、セメントの代用として 漆喰 ( しっくい ) を使いました。
原料となる石灰は下仁田町青倉産のものでした。
レンガもフランス積み(フランドル積み)という積み方で建造物に
流麗 ( りゅうれい ) さをもたらしました。

頑張りました日本の職人さん!!

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